2004/09/08

オリンピック後記

オリンピックが終わった。いまさらだけど。
特に何かの競技に興味はなくてもなんとなく見ちゃうんですね、スポーツ好きとしては。今まで顔も見たことない選手の小外刈りにおっしゃ!と自然にガッツポーズなんか出てしまう、日の丸の魔力というのはすごいもんだなとあらためて思いました。

で、日本人選手と外国人選手(すげえ分け方だな)のメンタリティの違いについて。よくある話だが、勝った後に日本人は感極まって泣く。外国人は泣かない。やたー!ってカラっとしたもんだ。新体操の女の子の美しく堂々とした表情なんて印象に残ってるな。


この差はどこからきてるのか?思うに日本人は「何かを得るためには何かを捨てなければならない」という思想にどっぷり囚われているんだと思う。すべてを捨てて目指した甲子園、不純異性交遊を繰り返すフリョーを片目に頑張った受験勉強、おまえらを養うためにおれはやりたいことを我慢してきた、など。
外国は違う。

エリートで生まれも育ちもよく、そういうやつが勉強もスポーツもできる。アメフトやバスケで光れば女の子も入れ喰い。何代も続いた血筋の違いか、総合力でそういうやつには勝てないので、下層階級の出のやつはサッカーや音楽など一芸で光るしかない。そのことを一番本人が痛感してるから、のし上るためにハングリーになれる、結果として全体のレベルも上がる。

まぁ自分も多分に日本人のメンタリティを持っているのでなんとも言えませんが、故岡本太郎が言ってたヒューマニズムを土台にした近代日本芸術、センチメンタリズムの対極にある西洋的快楽主義・即物主義とも通じると思う。有限であるという考えは(結果的に)過度の搾取(集中)を産みにくいため(結果的に)平和的であるとかいい部分もあるんですけどね。

実現したいことっていくつかあって、その中の一つを選ぶのではなくて両穫りを目指すならどうしたらいいか?どの職業についたらいいか?というところの選択で合理的なんですね。


西洋一辺倒の一昔前と違い日本人や東洋人ならではのもの、精神性は見直されているし、若い人の中にそこにプライドを持てる人も増えてきた。ただ良いところは素直に見習うべきだと思う。単純な否定や憧憬ではなく、一方を追求することによってその対極にあるもう一方をより深く味わう、他方を強力に把握することによって元来持っているものが逆に際立つのではないか?というあくまで快楽に即したやり方だ、どちらに転んでもね。

件の岡本さんに言わせると「妥協させたり混合したりするのではなく、矛盾を逆に引き裂くことによって相互を強調させ、その間に起こる烈しい緊張感の中にこそ芸術精神の場がある」と。極めて意思的に己の位置を決定する、それによってのみ純粋は貫かれ芸術は可能になるって。