2004/12/02

Are you physical?

車検が切れてたのが発覚!(オイオイ)
僕の車関係の面倒の一切を見てもらってる大西さんに急いで預ける。
というわけで今週は電車です。もしかしたら自転車で登場するかも。

さて、最近思ったこと
自分の直接体験のみを信奉するのは危険だなと。

たしかに自分の目で見たものというのはリアリティとして情報量として無類のものがあるんだけど、活字や映像、伝聞で得たもの(これは言い換えれば本、TV、人の話に値する)も受け取る自分次第だなと。物理的時間的に自分が直接体験できることにはおのずと限界があるわけで、、、そもそもそういったものを軽んじるというのは人類の大発明、アルファベット、活版印刷、電話、インターネットを否定することになるわけで、、、携帯やネットのコミュニケーションに最初違和感を覚えた人はけっこう多いと思うけど、たぶん遡れば同じようなことが昔もあったんだと思うんだ。「あ〜活版印刷が普及する前は人と人との関係が密でよかったよなぁ〜」なんてぼやいてるやつがいたりして。

そして、メディアを通しての追体験は、見る、聞く、その時点でその人にとっての実体験となるんだよね。マイルス・デイビスの伝説のライブや昭和天皇の崩御は実際目の当たりにした人は僅かだけど、それぞれのリアリティとして残っている。また、何が元体験で何がそれを加工・再送したものかという比較も意味はない。それは繋がってるんだけどまったく違うものだから。

フィジカルというのは、何もすべての場面に直接赴いて体験してこいってことじゃないんだ。自分の前にあるものすべてに対して反応、反射、そして自分自身の脳内イメージとの双方向・同時進行の神経の働き。これを常にスムーズにしておくってことなんだ。当然肉体にもフィードバックされるわけだから、これもnice&smoothである必要がある。

あとリアリティって物や出来事自体にはないんですね。それは感じる人の方の問題で。そんなこと考える前にそこに在るわけで(real)。そう考えるとリアリティって言葉は〜っぽいってこと?極めて抽象的な言葉だなぁと思いました。

そんなことを今更思ったのは、
この人こんな一言だったり、、、(けっこう好きです、この人)
たまたま○んこの間読んでた高橋悠治さんのインタビュー@intoxicate(誌名変わったんですね、いつの間に)
「知識があれば、それを使わないことができる、しないやり方が見えてくる。だからひとたびそういう知識みたいなことがあれば、入り口になるということだよ」だったり、、、

まぁなんだかこだわりというか偏屈なとこがある分遅いとこ遅いです、自分。
なんか反発したくなんのよね(笑)
でも大脳皮質に蓄えられた旧来の感覚にとらわれてるというのは、フィジカルということと反するな。気をつけよっと。

関係ないけどWHOの定義する「健康」
"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."
(健康とは、完全な肉体的、精神的、霊的(訳とりあえず)、及び社会的幸福(福祉)の動的な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。)
98年にspiritualを加えようと議論が交わされた。現在は保留中。
この時のウケる話はこちら。 つか日本終わっとる...