2005/05/22

Travel to Journey

旅の目的は人それぞれ。
極上のアコモデーションで過ごすバカンスから、物見遊山の観光、安宿を巡る自分探しの旅などなど。

僕は日常に飽きていた。
東京という街で繰り返される毎日に。ごく狭い地域の中で見える光景に。繰り返される移動と往復に。

トルコに来た。昔からギリシア、ローマの文化に憧れているのもある(その割に地中海地方へ行かないのはなぜ?)東洋と西洋の出会う街というフレーズに惹かれるのもある。何かの映画(ピンクパンサー?)で見たコーランが響き渡るイスタンブールの夕暮れは溜息が出るほど美しかった。

それらはたしかにあった(見てないのもあるけどね)
カッパドキアからイスタンブールに戻ってきて最初の夜に思う。
いかなる文化財もいかなる景色も、そこにあるだけ。
景色は景色で、物は物だ。
そこに辿り着くまでに、その中で、人と出会い、自分と対話し、ストーリーが織り成なされるから人は感動するんだ。感動は人がつくる。すべては自分の中に。

こう書くと、今回の旅はつまらなかった?いぶかしがる向きがあるかもしれないが、非常によかった。快適でスムーズで何の滞りもない。トルコの人々の笑ってしまうほどの親切には(スルタンアフメット周辺ではたまにうざい。観光客スレしてる)何度も助けられた。夕陽がカッパドキアの奇岩を染めていく様はほんとに素晴らしかった。

だがすべてが用意されすぎた。自分の足で歩き回った実感に乏しい。別に添乗員があっちですよ〜こっちですよ〜と連れ立つツアーってわけじゃないんだけど・笑
気付くとその街の地図さえ持たずに歩き回れるごく狭い範囲でのミニマルな行動、これでは東京と変わらない。
いや、東京だって自分の足で歩き回ることはできるはずだ=explore
ただ、繰り返す日常の中でそのことを忘れてしまうんだ。体力、知力、洞察力、機転、勇気、コミュニケーション、すべてが試される現代の冒険。取り戻したかったのは人間の根源的な力。生きてる実感と彼我の輪郭がくっきりと鮮明に感じられる喜び。

そう考えると、すべてがぼやけている。
地図もない。旅に出るといつも真っ先に買う日記用のノートもない。あるのはお湯を張れるきれいなバスタブと24時間熱いお湯の出るシャワー、空調、、、すべては人工的で整っている。

こう書くと、バックパッカーによくある安宿至上主義?みたいに思われるかも知れないが、そういうことでもない。危険な地域や過酷な状況は必要に応じて乗り越えなければならないが、それが目的となると行き着く所はイラクで殺された香田さんになってしまう。(それはそれで人生の旅の一つとしてありだとは思うが。危機に身を置く中で日常では味わえない生きてる実感を味わえるのはよくわかる)若者の例に漏れず僕の中にもそういった旅への憧憬は少なからずある。現代版深夜特急といったところか。おそらくパーティを通じて世直し!という自分にとって人生をかける価値のあるものと出会わなければ、定住せずに世界中をひたすら放浪していたかもしれない。いろんな国の女とやりながらねw


さて、このタイミングでこういった旅に出会えたことに、大きな意味があると思っている。最初にも書いたが旅はきっかけ。もうシチュエーションに頼る時代は過ぎたんだ。今年30を迎える不肖・奈良龍馬。無自覚から自覚的な行動への渡り目。
これからは、自分でつくらなければいけない。いつ、いかなる時も。状況は用意されるのではなく自分でつくる!
すべては自分の中に。男はつらいよ。人生はきびしーぜ!

そんなことを一人考えていた朝の4:45。
まだ暗い中近くのモスクから朝一回目のコーランが響き渡る。イスタンブールの夜明け。やっぱり人生は笑えるぜ!

懐中電灯を片手にホテルの屋上へ駆け上がる。
あちこちのモスクから順番に、時には重なって聞こえる祈りの歌。
なんて素晴らしい光景。
今回の旅で初めて泣いた。涙は出なかった。
世界は僕の手のひらに。
かもめが鳴いている。

(旅行中唯一書いた日記をそのまま転載。この気持ちをいつまでも忘れないように)



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