2017/11/21

生と死と

11月に入ってここのところ、大人しくしていたのには訳があって。
結論から書いておくと、今は心身ともに元気で大丈夫です。ご心配なく。。



10月中旬に7年ぶりとなる大腸の内視鏡検査を受け、盲腸の一歩手前の回腸に6mmのポリープが発見され、その場で切除して念のためと病理検査に回される。


長年の肉食生活や不摂生がたたっているのか、7年前にも1つポリープを切除して、過去に虫垂炎疑いの症状を切らずに薬で散らした経験あり。
健康そのものな僕の身体の中で唯一ウィークポイントと言えるのが大腸とアキレス腱。

2年毎に内視鏡受けてくれと言われていたのが7年も放置してしまっていた。
その間もなんとなくの違和感は感じていたのだが。

今年に入り、ビオキッズやプレーパークに関わる若き友人がガンで亡くなり、自分も受診しなきゃという思いを呼び醒まされていた。



10月末に結果を聞きに行くと、免疫染色病理組織標本作成なる詳細検査が必要でさらに10日後に来てくれとの結果。最悪の場合、悪性リンパ腫の可能性があると。
悪性リンパ腫とは、血液のガン。


可能性ありの告知を受けた瞬間、具体的で生々しい死が僕の未来を覆い尽くした。
肉体は現時点では目に見える異常を示していないのに、精神は凍りつき、恐怖で何かが崩れ落ちそうな。

それまで漠然としてしか意識してこなかった、いつか訪れるけど遠いものと思い込んでいた死が、はっきりとした形で迫っていることを感じる。
景色や感覚、思考はそれまでの日常と一変した。

帰り道の駐車場で、かろうじて買ったミネラルウォーターを飲む。ありふれた水の味や喉を通る感触も、もはやそれまでとは違う。

朗らかな秋空と陽だまりが、無性に心に沁みて、そして悲しい。
この美しく愛しい世界と、ただ一人お別れをしなきゃいけないかもしれないなんて、そんな悲しいことはない。


お別れしたくないと一番に思い浮かぶのは子供たちのことだ。
まだ8歳と5歳と幼い2人の成長をまだまだ見守っていきたい。
小学生になって中学生、高校、大学、社会人と、彼らが求める時はいつでも守ってあげたい。。



その日から、死を考え続ける日々を送るようになる。
何が自分の人生において大事で、何は大事ではないのか。

残された時間は、あと1年かもしれないし、あと10年、60年、半年、1ヶ月かもしれない。
そんな時、自分は何をするのか、しないのか。



まずは怒ること、イライラすること。これは一番の無駄でいらなかった。
できるなら美しい感情で有限の人生を彩っていたい。

そしてこだわり。こうあるべきだとか、この人や子供にこうなって欲しいなど。
これも全くいらなかった。相手や相手と自分の間に流れる空気が健やかで朗らかであるならば、それ以上望むものなどなかった。
お好きにどうぞ、と思った。

勝負や優劣、刺激的なことも望むものではなかった。
たとえ目覚ましい成長、変化はなくとも、ただただ穏やかに時間を過ごせれば、それでよい。


朝と晩、神さまと父母から連なるご先祖さまに祈りを捧げ、生かされている有り難みを毎日感じて、穏やかな一日を生きたい。

考えてみれば、それはインドで送った日々とまったく同じだった。
ガンジス河で沐浴している時に感じた安心感。
いつかここに還っていくのだという、安らぎに満ちた感覚。


ただし否応なしの死を意識しているいま、安らぎからは遠く、苦痛と恐怖に身体はこわばり、大腸の該当箇所が常にうずくようになってしまった。

ネットで病気の予後について検索したり、少しでも腸に良いことと今さら乳酸菌製品を取り始めたり。発がん性があるとされる加工肉や赤肉(牛豚)を極力避け、魚や野菜中心の食をメインに、マルチビタミンやコエンザイムなどのサプリを摂取する。


子供たちといる時は携帯は見ずに、頼まれたり誘われれば必ず付き合う。
子供にああしろこうしろも、ほとんど言わなくなった。
こうなって欲しいとか消え去り、元気でいてくれたらいい。

子供との時間以外は病気情報を中心にかなりネットを見ていたが、もし最後の一日だとしたら自分は何時間をネットに費やすつもりなんだろう?
Facebookを始めとするSNSは一切触れる気がしなかった。

音楽はよく聴いていた。
思い出が詰まった曲。ただただ美しい音。たとえ人生の最後の日でも、音楽はあって欲しい。

家をきれいに保つこと、過ごしやすく手を加えることは、残される家族へと、自分が生きている間の両方の側面で、求めているもので、作業をしている間は没頭していられた。


いく人かの近い友人には会った時に病気のことを話し、アドバイスをもらったり元気づけられたり。一人で抱えておくことはできなかった。

保育園のパパ友で、たまたま悪性リンパ腫に関する日本で最先端の研究を手がける医師がいて、その人のアドバイスには精神的にだいぶ助けられた。


幸いイベント業的には忙しい時期ではなく、家族以外の人との接触もあまり持たず、家族のこと、家のことを中心に、結果の出る10日間を過ごした。


その間、息子の小学校進学をどうするか?という問題が家族的には一番のトピックだったが、天候含めの紆余曲折、いろいろな偶然やタイミングもあって、長女が通う私立小学校に通わせたいと決めた。

もし、自分がこの世を去って子供たちが残される時が来るなら、担任の先生だけでなく、みんながみんな息子のことを知っていてくれて、見守ってくれる、そんな温かい人たちが運営する学校に、入れたいと心が感じた。


その手続きをしに学校に行った時の、校長先生の温かい対応に、心が熱くなった。
グラウンドではスプリンクラーから解き放たれる矢のような水流に狂喜乱舞する子供たち。もう冬に近い気温の中、ビショビショになって遊んでいる様が生き生きと輝いて見えて、ここは子供たちの楽園だと涙した。


この世の中は、なんて温かく、美しいんだろう。
お別れはなんてさみしいものなんだろう。



そして、運命の一日。
この日を境に、まったく違う日々が始まる可能性がある。
この日より前の自分や、自分と家族の間に流れる空気、そこには戻れないかもしれない。

前日に氏神様と思っている大宮八幡宮にお参りして、おみくじ(病気について、衰運にあるが焦らず養生しなさいと書かれていた)や御守を購入している。


病院に着き診察を待つ間。
ナースや職員のちょっとした様子や動きが気になり、不安に駆られる。
やはり、結果は悪かったのかもしれないと。。
僕の番になっても、なかなか呼ばれない。
告知の準備に時間が掛かっているんだろうか。。

名前を呼ばれ、診察室のドアを開けて、見慣れた先生の発声を待つ。。。

「ナラさん。大丈夫だった。何の問題ない」

!!!!!

その瞬間、これもまた世界が変わった。
別の意味で、崩れ落ちそうになって力が抜ける。

本当によかった。。。。

いつもの素っ気ない先生に、10日間の心境と感謝を伝え、診察室を後にする。


目に見える死のカウントダウンか、目に見えぬカウントダウンか。
心持ちは180度違うものになるだろう。

ただし、どちらにせよ有限なことに変わりはない。
やるべきことは、同じはずだ。


自分にとって大事なことに時間を使い、大事でないことに時間を使わない。
一日一日を、生かされている有り難みを感じ、感謝して生きること。
健やかに、朗らかに、穏やかに。


残り1年だったら、その行動はするのか、しないのか?
最後の一日だったら?


今回のことは、まだ死への準備ができていない僕に、神様が与えてくれたチャンスだったんでしょう。北米インディアンの古老たちのように、いつでも穏やかに死ねるように、準備を進めておけと。



大げさかもしれませんが、死生観が変わる経験でした。
とはいえ、僕も忘れ、怠ける人間です。
元気になり、また旧来の思考や反応が頭をもたげるようなこともあります。


それでも自省ができるようになりました。
今日の自分は、昨日の自分とは違います。


怠けた時、囚われた時、遅くてもいいから一歩は進めてみようと思います。
それが限られた時間を持つ命を、有効に使う方法だと思うからです。


御礼参りに再び訪れた大宮八幡宮で引いたおみくじは、第一番の大吉!!
一日一日を、幸せに生きよう!!!



花の木陰にねる様な気持ち。

神様、ご先祖様に、今日1日を無事に過ごさせて頂いた、有りがたさの御礼を申して、明日の1日を、清く正しく生き貫く事をお契い申し、お祈り申して、安らかな床につきましょう。