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2019/06/14

コドモの背中を見守ること 〜3駅の大冒険

最近の娘との出来事。

長女気質なのか、これまでの親との関わりの影響か、とかく慎重派の娘(小4)

ある日、外出先で打ち合わせ中の僕に電話がかかってきて、学校から家に戻ったあと一人で友だちの家に行きたい!と。しかも自転車で自分で行けると。
電車+徒歩では行ったことのある友人宅。間隔の短い井の頭線とはいえ3駅、しかも自転車では行ったことがない。

珍しく、やったことのないことを自信ありげにやれる!と言い切る娘に、電話口の僕はほお〜っと目尻を下げていた。


まぁまだ明るいし、そんな複雑な道でもないし、まぁ行ってみたらと伝える。
自分はまだ帰れないけど、しばらくのうちには帰れるし、迷ったり困ったら電話かけてきて、その場所に迎えにいくのもよし。

たどり着くことがゴールではない。親の庇護を離れて自分で行こうと挑戦したいと思えたことが、こどもの大事な成長点なんだ。


しばらくして電話がかかってきて、娘が泣いている。
聞けばパパが戻らないから行けないと喚いている。いったいその間に何があったのか?

どうやら母親に電話して許可を求めたら、一人じゃ危ないからと言われたようだ。
まぁそういう考え方もあるだろう。
そんな話の中で、自分自身も当初の自信が揺らいできて、自分一人じゃいけないんだと小さく縮こまっているように感じた。
もう行きたくなくなっちゃったかも。。と。


僕は内心残念に思いながらも、ぺしゃんこになった自信を少しずつ膨らませるような気持ちでいまできる事実を伝えた。
1.いますぐは戻れないし、戻ってからは遅すぎて行けない 
2.いくかいかないかは娘自身の判断に任せる(本当はどうしたいと思ってるの?) 
3.もし行くなら、途中迷ったり困ったりしても、電話をくれれば必ず助けに行く


行きたい気持ちと、行けないかもという気持ちが葛藤している様子が電話口から伝わる。
心の中で、行け!GO〜〜〜!!!と叫んでいた。




思えば僕も慎重なコドモだった。第一子だったのも影響しているかもしれない。
(第一子は慣れてない親が手数口数をかけて育てる影響で、慎重なコドモに育つことが多いと思う)

慎重だった僕にも、どこか突破口のような、分水嶺のような局面があって。
踏み出すのはここしかない!今でしょ!という時になると、急に大胆になれてきた過去があるのだ。
思いがけない自分にわくわくしながら、結果失敗したことも成功したこともあるけど、いずれにせよその時はノリノリだった。


娘は行くと。自分ひとりで。(よっしゃ!!!)
明らかにさきほどまでのしょぼくれていた様子と変わり、声が明るい。


結果的に、分かりやすい所まで友だちが迎えに来てくれて、たどり着けたようだ。
慎重だった娘の、3駅の大冒険。

僕が自転車で迎えに行くまでわずかしか遊べなかったけど、娘の顔は充実していた。
どうだった?と聞くと、楽勝〜!だって、笑




コドモが、自分の力で踏み出すか、踏み出さないか迷っている時。
その先に取り返しのつかないリスクがないのならば、僕は後押ししつつ見守るオトナでいたい。

 
オトナにしかできないことをやるのがオトナの役割。
相手の親に電話するとか、いざとなったら助けにいくとか。
 
コドモが自分でできると思ったことは、やってみればいいんだ。
きみがやりたいことがあるのなら、相手にどう思われるかとか、管理が大変だとか、オトナの事情を優先させたりはしない。ママにだって先生にだって、パパは話そう。


いやがってるのに無理に背中を押すのとは違う。
時々見かける、怖がってるのにお尻を押して木に登らせちゃうオトナがこれにあたる。
コドモのこれ以上無理という恐怖心はよく出来た野生の反応で、自分の肉体・精神的な力を超えて親の手で登らせた子は、たいてい木から落ちる。


そして、コドモが転ばないよう、行く先々の小石をあらかじめ拾っていくこととも違う。
失敗させたくない一心で、障害を排除したり、ここはダメと制限を加えるオトナも多い。

息子は最近、滑って危ないから入っちゃいけないと言われている場所があって、そのことに不満を持っている。当たり前だ。そのことはコドモだけじゃ解決できないので、オトナとしての僕は近々そのことについて話し合うだろう。


成功すること/失敗しないことの観念を持つオトナたちは、良かれという思いでコドモに自分自身の囚われを押し付ける。まさに囚われの字のごとし。
オトナの観点のハコに押し込められたコドモは、窮屈さ、自信のなさを感じていく。



ここまで書いて、これってオトナに対しても同じだなって思う。
コドモに対して言っていることは、オトナに対しても言えなきゃ嘘だ。逆もまた然り。


まだまだだなって自分で思うし、絶対の正解なんてないんだろう。
いつでも試行錯誤だ。
こんなことを気づかせてくれるコドモたちには、いつも感謝している。

友人宅からの帰り、娘と僕と息子は夜道に自転車を走らせ、上機嫌で帰っていった。
昨日よりちょっぴり仲良くなっていた。