2004/04/06

この国のサッカー

ジーコ監督後任にオシム氏リストアップ
W杯アジア予選でふがいない戦いぶりを続けている日本代表。まだ1紙しか報じていないので決定ではないが、こんなニュースが出て来始めた。ジェフ市原での監督振りはよく知らないがジーコとは対照的みたいだ。


チームに極限のオートマティクスを求めたトルシエジャパンの限界。相手の持ち味を極力封じ拮抗したいい試合はできても、最後の一線は個人のタレントで突破される、外から決められる。−これがワールドクラスだ。

そしてジーコ就任。
中盤にタレントを揃え、決まりごとは極力つくらない。自身の現役時代"黄金の中盤"が頭にあるのか。チーム全体としての意思を感じられない試合運びで、格下のチーム相手に苦戦を続ける。何度も言われていることだが、プレスの掛け方、タイミング、攻撃の展開。動き出しは遅く、オーガナイズされていない。まるでU21の試合を見ているようだ。

さて日本のサッカーである。
日本という国、国民性には、再びオートマティズムを焼き付けるしか道はないのか?規律を重んじる国民性、リスクを冒そうとしないメンタリティ、きまじめな性格に合った戦術である。しかしサッカーは点取りゲームだ。組織の上に傲慢な才能が乗る、これが理想と考える。

まずFWを育てよう。我欲が強くマイペースで常に100%でなく普段70%のプレーを続けていても一瞬200%の爆発力を発揮できるタイプの。具体的にはペナルティエリアの外からマークを外して(もしくは引きずって)決められる人材。FWに限らずだがワールドレベルとのシュート力の差は歴然だ。
そのためには、グラウンドは芝でなければならない。中学高校と一般的な土のグラウンドでは、ドリブルには細かいタッチが必要だし(大きく蹴り出して一瞬のスピードで抜く、いわゆるFW的なドリブルは土では不適だ)キックのインパクトの角度は限定される(ゴルフのティーアップされた状態とフェアウェイからドライバーで打つ時の差。芝はボールが常に浮いている状態)。
土のグラウンドでは攻撃的なFWは生まれない。FWの定義とは攻撃だ。"攻撃的なFW"がいないというのはある種のパラドックスである。このことこそが日本サッカーの悲劇なのである。

10年、20年かかるかもしれないが、ホームアドバンテージのあった前回のW杯以上の成績をアウェーで挙げようと思ったらそれが一番の早道だ。