2019/10/31

6回目のNU VILLAGEが終わり、僕は44歳の誕生日を迎えた

なかなかに心が揺れ動いた一ヶ月だった。
44歳のテーマは「揺れる」かもしれない。

原因はいくつか思い当たるけど、精神的にもかなり揺れた。揺らいだ。 

いまはようやくそれをポジティブに語れる自分がいる。
むしろ揺れてこうと。


今までの思考パターンや行動パターン、考え方、自分像にとらわれることなく、相手や周りがどう思うか、どう評価されるかにも左右されず、自分が本当に何をやりたいか、どう生きたいのか。

評価や報酬など外発的動機は続かないし、ムラがある。
自分の中から湧き出る内発的動機は何なのか?そこに向き合っていきたい。


自分の人生を振り返ってみれば、いろいろ中途半端に生きてきた。 

勉強も中途半端、部活も中途半端、サッカーやスキーなどスポーツも中途半端、不良も中途半端、遊び人も中途半端、オーガナイザーも中途半端、不動産の仕事も中途半端、子育ての世界も中途半端、子供の学校との関わりも中途半端。とにかくいろいろ、中途半端にやってきた。


決して器用な性質ではなくむしろ不器用なんだけど、どれもある程度うまくできる。
ものによっては存在感を知らしめ、評価されるとこまではいく。

こう書くとなんでもさらっとできるクラスのスーパースターみたいなのを想像する人もいると思うが、決してそうではない。
自分がこれと決めた分野では、結果が出せる。逆に言えばこれは無理だなと思う分野には手を出そうとしない、そんな見極めがあったんだと思う。



でもそこから先にモチベーションが続かないんだ。成長し続けることができないんだ。


なんでだろう?と最近物思いにふける中で気づいた。

僕を動かしてきたものは、主に外発的動機だったんだ。 
いい女にもてたい。周りにかっこいい、すげえって思われたい。こどもから尊敬されたい。 


内発的動機と外発的動機の違いは、そのことにハマっていること自体がエネルギーを生むのか、外部からの評価や報酬(逆の意味で罰や批難も)などがエネルギーを生むのかだと思う。


例えば音楽家や絵描き。創作に向き合うこと自体が自然にエネルギーを生めばいいが、外部からの評価や報酬が動機となると、思う対価や評価が得られないときにくじけたり、報酬を得すぎたら意欲がなくなるかもしれない。 

オーガナイザーに置き換えれば、思う評判がとれなかったら落ち込み、思う報酬が得られなかったら憤り、といった具合だ。 

言い換えると、自分の幸せを他者に依存しているということ。


僕は真の意味で、自立したい。
44歳から88歳の44年間は、自分自身で自分を幸せにできる人生を送りたい。

そして自立した人間同士の、友愛と連帯を結んでいきたい。



自分の内発的動機はなんなのか? いろいろ思うことはあるが、ひとまずそれも思い込んでる節もあるので、44年間生きる中こびりついてきた思考を捨ててみよう。

「自分が思う自分」から離れて、存分に揺れてみようと思う。


そんなこんなで、44歳の秋を迎えました。

祝福のメッセージをくれた皆さん、どうもありがとう!!
ひょんなことで支えてくれたり、ヒントをくれたりする皆さんにも感謝してます!
そういう存在は、距離や時間は関係なかったりもする。

そしてこの投稿を、近況報告に代えさせてもらおうと思う。


人生はまだまだ長い。とはいえ、それは瞬間瞬間の積み重ねだ。
時間も労力もお金もひらめきも、惜しみなく、そこには費やそうと思う。

 


2019/09/18

6回目のNU VILLAGE


いよいよ今週末は、NU VILLAGE - a potlatch campの開催です。


9ヶ月に渡る苦楽の旅。楽しいこともいっぱいあったし、苦しいこともいっぱいあった。
頼まれてもいないのに、なんでこんなことをやり続けているんだろう?



NU VILLAGEが始まったのは6年前。
まだ足元のおぼつかない下の息子を連れて、仲間と共にべるがを訪れたのが始まりだ。

コドモの成長と共に、親も子との関係から学び、コドモを通じて接する世界はますます拡がっていった。

いつしかNU VILLAGEは、人生の時間の大部分を占めるようになっていた。
龍馬=NU VILLAGE。
そんなふうに思う人も多かったし、実際自分でもそう自覚できるほど、時間とエネルギーを注いできた。

プライベートも、夜遊びの選択も、コドモの学校や習い事の繋がりも、旅先での出会いも、すべてNU VILLAGEに繋げて、自分の代名詞のようにどこかしこでNU VILLAGEのことを話した。

単に自分の手掛けているイベントというものではなく、自分の身体の一部なようにも感じていて、これだけはあまり他の人にはない感覚なんじゃないかと思っている。



さて、日付変わって明日からは前乗りで現地に入り、現場で刻々と変化するその瞬間と対峙することになる。
天候に人の流れ、その場の空気、何が待ち受けているかはわからないが、ベストを尽くしたいと思っているし、その瞬間にベストが見えなくてもベターは重ねていけるはずだ。


幸いなことに身体は健康だし、子供たちも健やかに育っている。
そして自分がいいなと思っている人たちが、たくさん集まってくれる。
たとえそれだけでも、こんな幸せなことってあるのかな?



NU VILLAGEの目的は、仲良くなること。
オトナとオトナも。オトナとコドモも。コドモとコドモも。
初めて会う人とも、昔からの仲間とも、もっと仲良くなってくれたら嬉しい。

それぞれが見返りを求めない心(ポトラッチの心)で出会って、その関係が未来へと続いてくれたら嬉しい。


僕は、自分や自分の周りのオトナたちが、繋がって、未来へ繋げている世界をコドモたちに渡したい。

未来はわからない。 ただ、6回目のNU VILLAGEを終えた後、自分にとって大切なものは何なのか、よりクリアに見えてくるような気がしている。

みんなに会えるのを、楽しみにしている。
秋風薫る、白州の森でお会いしましょう!!





2019/06/14

コドモの背中を見守ること 〜3駅の大冒険

最近の娘との出来事。

長女気質なのか、これまでの親との関わりの影響か、とかく慎重派の娘(小4)

ある日、外出先で打ち合わせ中の僕に電話がかかってきて、学校から家に戻ったあと一人で友だちの家に行きたい!と。しかも自転車で自分で行けると。
電車+徒歩では行ったことのある友人宅。間隔の短い井の頭線とはいえ3駅、しかも自転車では行ったことがない。

珍しく、やったことのないことを自信ありげにやれる!と言い切る娘に、電話口の僕はほお〜っと目尻を下げていた。


まぁまだ明るいし、そんな複雑な道でもないし、まぁ行ってみたらと伝える。
自分はまだ帰れないけど、しばらくのうちには帰れるし、迷ったり困ったら電話かけてきて、その場所に迎えにいくのもよし。

たどり着くことがゴールではない。親の庇護を離れて自分で行こうと挑戦したいと思えたことが、こどもの大事な成長点なんだ。


しばらくして電話がかかってきて、娘が泣いている。
聞けばパパが戻らないから行けないと喚いている。いったいその間に何があったのか?

どうやら母親に電話して許可を求めたら、一人じゃ危ないからと言われたようだ。
まぁそういう考え方もあるだろう。
そんな話の中で、自分自身も当初の自信が揺らいできて、自分一人じゃいけないんだと小さく縮こまっているように感じた。
もう行きたくなくなっちゃったかも。。と。


僕は内心残念に思いながらも、ぺしゃんこになった自信を少しずつ膨らませるような気持ちでいまできる事実を伝えた。
1.いますぐは戻れないし、戻ってからは遅すぎて行けない 
2.いくかいかないかは娘自身の判断に任せる(本当はどうしたいと思ってるの?) 
3.もし行くなら、途中迷ったり困ったりしても、電話をくれれば必ず助けに行く


行きたい気持ちと、行けないかもという気持ちが葛藤している様子が電話口から伝わる。
心の中で、行け!GO〜〜〜!!!と叫んでいた。




思えば僕も慎重なコドモだった。第一子だったのも影響しているかもしれない。
(第一子は慣れてない親が手数口数をかけて育てる影響で、慎重なコドモに育つことが多いと思う)

慎重だった僕にも、どこか突破口のような、分水嶺のような局面があって。
踏み出すのはここしかない!今でしょ!という時になると、急に大胆になれてきた過去があるのだ。
思いがけない自分にわくわくしながら、結果失敗したことも成功したこともあるけど、いずれにせよその時はノリノリだった。


娘は行くと。自分ひとりで。(よっしゃ!!!)
明らかにさきほどまでのしょぼくれていた様子と変わり、声が明るい。


結果的に、分かりやすい所まで友だちが迎えに来てくれて、たどり着けたようだ。
慎重だった娘の、3駅の大冒険。

僕が自転車で迎えに行くまでわずかしか遊べなかったけど、娘の顔は充実していた。
どうだった?と聞くと、楽勝〜!だって、笑




コドモが、自分の力で踏み出すか、踏み出さないか迷っている時。
その先に取り返しのつかないリスクがないのならば、僕は後押ししつつ見守るオトナでいたい。

 
オトナにしかできないことをやるのがオトナの役割。
相手の親に電話するとか、いざとなったら助けにいくとか。
 
コドモが自分でできると思ったことは、やってみればいいんだ。
きみがやりたいことがあるのなら、相手にどう思われるかとか、管理が大変だとか、オトナの事情を優先させたりはしない。ママにだって先生にだって、パパは話そう。


いやがってるのに無理に背中を押すのとは違う。
時々見かける、怖がってるのにお尻を押して木に登らせちゃうオトナがこれにあたる。
コドモのこれ以上無理という恐怖心はよく出来た野生の反応で、自分の肉体・精神的な力を超えて親の手で登らせた子は、たいてい木から落ちる。


そして、コドモが転ばないよう、行く先々の小石をあらかじめ拾っていくこととも違う。
失敗させたくない一心で、障害を排除したり、ここはダメと制限を加えるオトナも多い。

息子は最近、滑って危ないから入っちゃいけないと言われている場所があって、そのことに不満を持っている。当たり前だ。そのことはコドモだけじゃ解決できないので、オトナとしての僕は近々そのことについて話し合うだろう。


成功すること/失敗しないことの観念を持つオトナたちは、良かれという思いでコドモに自分自身の囚われを押し付ける。まさに囚われの字のごとし。
オトナの観点のハコに押し込められたコドモは、窮屈さ、自信のなさを感じていく。



ここまで書いて、これってオトナに対しても同じだなって思う。
コドモに対して言っていることは、オトナに対しても言えなきゃ嘘だ。逆もまた然り。


まだまだだなって自分で思うし、絶対の正解なんてないんだろう。
いつでも試行錯誤だ。
こんなことを気づかせてくれるコドモたちには、いつも感謝している。

友人宅からの帰り、娘と僕と息子は夜道に自転車を走らせ、上機嫌で帰っていった。
昨日よりちょっぴり仲良くなっていた。


2018/09/30

幸せだったNU VILLAGE 2018

自分にとって一年で一番のパーティ、NU VILLAGE × べるが - a potlatch camp 2018が無事終わった。

5年目となる今年は、べるがとの共催で有料の居住エリアと無料のパブリックエリアを行き来するグランドデザインで、天候にもぽっかりと恵まれ、過去にないほどの来場者が来てくれた。

何より今年は、村の雰囲気が素晴らしく良くて、それは村人一人ひとりが用意された楽しみを待つのではなく、自分から表現したり、商いしたり、ギフトする人が増えたからだと思う。


NUVの最大のコンテンツは、来る人自身、オトナとコドモ。そして自然。

巷のフェスにあるような豪華なヘッドライナーが並ぶわけでもなく(クオリティとセンスはむしろ上だと自負している)、巨大なステージが建つわけでもない。ディズニーランドのようなホスピタリティというわけでもない。


スタッフ、出演者、来場者。オトナとコドモの垣根もなく、村人みんなでつくる村。
そこには、ポトラッチの精神が根底に流れている。
ポトラッチを超〜平たくいえば贈りもの。見返りなしに場や相手に与えること。

参加者全員無料のポトラッチBBQ、大事なモノを贈り合う、お金で買えないポトラッチマーケットに象徴されるが、実は村のあちこちに溢れている。


5年目にしてようやく、コンセプトを表現できるようになってきたし、村人の共通理解も深まり、今年は本当に素晴らしかった!!

この場を借りて、参加頂いた方、協力頂いた方に深く感謝を申し上げます。


オトナとコドモも垣根なく

ここまでは一般的な、ご報告と御礼という感じだが、実は今回ここに至るまで、主催者としては一番苦しく、一番楽しく、一番充実していた。

ここからはごく個人的な振り返りだ。


NUVの主催メンバーが6月頃に急に抜けることになり、ほぼ1人になってしまったのだ(!!)

抜けた理由はそれぞれあるんだけど、一番はNUVに関わることの負担、他の仕事や生業に及ぶ影響が大き過ぎることだろう。主催メンバーの効率の悪さもあるだろうが、やることが多岐に渡り、費やす時間も膨大だ。

はっきり言って、ボランティアの域すら超えている。笑
もはや持ち出しの社会奉仕活動ともいえるが。。


ポカーン。それまで5ヶ月に渡って進めてきた話は一体何だったんだろう。。
そしてほぼ1人になった僕は、NUVをやりきれるんだろうか??
 

とはいえその時点で開催告知もしていたし、何人かの主要スタッフはスケジュールを抑えていた。何より、自分のこどもも含め大勢の人がNUVを心待ちにしてくれている状況を知っていた。

僕の中でやらないという選択肢はなく、たとえ1人でも今回はやり抜くんだと不思議な勇気が湧いてきた。

感傷に浸る間もなく、開催3ヶ月前から実質の制作を急ピッチで進める。


自分の中で、今年は死ぬなと。プライベートも何もすべて捧げてやりきるという覚悟を決めたら、不思議と新たな仲間が集まってきてくれ、支えてくれた。
柔軟で新たな発想や、感覚と情熱を持って。

そして自分の直観で、慣れないスタッフも多いから大変だけど、これはいい流れになると確信があった。
NUVの神様はそのやりきる気持ちを見てくださったんだと思う。

音楽影絵劇 ジョン犬に群がるコドモたち

正直な話、これまでのNUVの組織は激務の中で勤続疲労を起こし、硬直化していた。
NUVにかけられる時間やイベントとの向き合い方も異なる中で、合議制らしき体制を取っていたので、誰かが責任持って物事を決めるというより、いいアイデアや流れがあっても、レスがない、決められないのループを繰り返し、結果流れる、忘れる。。
僕の中でそのことに対するストレスはMAXに達していた。


だから、1人になるというのは、むしろどこか望んでいたのかもしれない。
自分が決めればその瞬間進められる。久々に感じるその重力のなさに歓びを覚えていた。

そのことは裏腹に、自分が落とせば誰にも拾われずにそのまま本番を迎えるということだ。


超〜緊張感で重圧。
手がけてきた渚や奄美などとは全然違う、2001年のFORESTED OVA以来の完全に自分自身の責任監修における、野外パーティ主催!!


実質的な運営や制作ってこと以上に、自分自身のセンスと世界観がなんぼのもんか、それを言い訳の一切ない状態で世に問うのだ。
25年間パーティオーガナイザーを続けてきた、僕自身の存在価値をかけて。


これがかっこわるかったり、つまらなかったら、僕自身にセンスがないってことだ。
もはや引退した方がいい。
すなわち自分という存在は価値を失い、こどもに誇れるもの、生きている意味もなくなる。

すべての感覚や世界の認識はパーティとダンスフロアに立脚している、それくらいアンバランスな男ということだ。

最終日昼のMarter with コスガツヨシ

自分の好きな人、好きなアーティスト、好きなお店。
古くは小学校の同級生から、存在を最近知ってまだ出会ってない人まで。
アンテナに引っ掛かる人は、付き合いの深さ関係なしにどんどん誘った。

結果参加することになった人たちは、相手も何らか僕のことを好きだったり気になっていたり過去の活動を知ってくれている人ばかりだったように思う。

そういう意味で、僕のオーガナイザー人生の集大成とも言える内容になった。



すべてはNUVのために。夏を捧げて頑張った。
Facebookに投稿される友人たちの楽しげな家族旅行やキャンプの写真を横目に、朝起きた瞬間から明け方に力尽きて寝るまで。平均睡眠時間4時間くらいで1日20時間はNUVのことを考えていた。
こどもたちもどこかにつれてくこともできず申し訳なかったとも思ったが、案外こどもは近所で遊ぶので満足そうだった。


正直にいうが精神エネルギーが尽きて何も手につけられない1日もあった。
そういう時は積極的に休めるわけでもなく、廃人のようにネットニュースやWikipedia、パーティと関係のない世界を見ていた。


でもFORESTED OVAの20代の頃と違うのは、そういう自分も許せたこと。
だって精一杯やって尽きてしまったんだ。人からも自分自身からも責めを追ういわれはないはずだ。
許せたら不思議と次の日には動けた。

ヒカリアソビ

考えれば考えるほど、いろいろなことが出てくる。
アイデアも思いつく。

普通に考えたら手を広げない方がいい状況だけど、直観に突き動かされるように、べるがとの共催、教育委員会の後援、無料のパブリックエリア、ポトラッチマーケットなどを盛り込んでいった。


そして自分が現場の細部まで関わっていくと全体が回らなくなることを見越したのか、各部署に、能力と情熱のあるメンバーが収まってくれて、1人だけど1人じゃない、心強い状況に近づいてきた。


夏休みも終わり9月に入った頃には、今回は最高のものになるという確信と、過去のイベントでは味わったことのない感覚を覚えていた。


涙がじんわりでるような、胸が熱くなるような、多幸感。
目を瞑って、身も心も投げ出せるような、穏やかで安心できる気持ち。
みんなよくなろう、よく生きようと思っている、世界や生命に対する信頼感。

メンバーはそれぞれの技能を活かしてよくやってくれていた。本当にありがたいし、立ち向かう勇気をもらった。

甲斐駒ケ岳神社
開催1週間前に最後の打合せでべるがを訪れ、甲斐駒ケ岳神社に参拝。
NUVの神様(勝手に神社の裏山にあたる甲斐駒ケ岳だと思っている)にここまで辿り着いた御礼と祈願。

ここまでやりきったから、後は自分もスタッフも楽しめるように過ごそうと決めた。



パーティ本番のことは冒頭に触れたし、自分でことさらに語るのも野暮ってもんだ。
それぞれに感じたことを、話したり書いたりしてくれたらいい。
FacebookInstagramで #nuvillage でいろいろ見れると思います)

一つ明かすと、2日目午後にJUZU a.k.a. MOOCHYがかけてくれた"Ain't no stoppin' us now"と、夕方にDJ KENSEIがかけてくれた"越中おわら節 feat, HIDENKA"の"去年より強くなった"は涙が止まらなかった。
やはりOVAのレジデントだった2人は、僕にとって特別なDJだ。


各部署に任せられたので、いろいろな人とコミュニケーションを取れたし、滝に打たれたり、テントサウナに籠もったりする余裕もあった。
ほんとそこは感謝!

息子と

設営撤収含め6泊7日の旅から戻り、アスファルトとコンクリートに囲まれた東京で想う。

今回は良かった。現時点での最高だった。
自分のやっているNUVについて、自信を持って言えるのは初めてだ。
自信を持ってオススメする。

自分が手がけたものに、最高だと自信を持って言える喜び。


ただ、自分のつくったものとも思っていない。
たしかに尋常じゃない熱量と作業量は投下した。
言い出しっぺだから、いろいろな人を巻き込んだり、きっかけをつくったりした。


そこから先は、村人たちが広げてくれた。
スタッフや出演者、来場者たち。
想像を超えて、さらにその先へと人が人を誘い、波紋は広がる。


キム・チョンへ R.I.P.
僕自身は、何もできない。
運営の超プロでもないし、設営やステージ周りの技術も中途半端。
料理も家庭料理の範疇を超えないし、キャンプのエキスパートでもない。
お披露目できる特技があるわけでもない。


でも僕の周りにはすごい人たちがいる。
最高にセンスがよくて、最高に気持のいいやつらが。
僕は幸せだ。
そんな人たちが参加や協力してくれるんだから。


終わってすぐに、また次のことを考えている。
こんなことは初めてだ。


早くみんなに会いたい。みんなと話したい。話を聞きたい。
早く今年の後処理を済ませて、来年のことを進めたい。

また次は、大胆にがらっとやり方を変えるつもりだ。
コンテンツの所ではなく、もっと根本のところを。


僕の当面の目標は、
垣根なく村人みんなでつくる村が幸せであること。
関わる人が生活や家族を犠牲にしないで実現できること。

村の中が幸せになるなら、空間や時間を広げて日常でも幸せになれるはずだ。
すなわち世界平和で人生平和。
これは17歳でオーガナイザーを始めた頃から変わらない目標だ。

そのためにまだまだやれることはあるはずで、取り掛かるのが楽しみだ。

実現にはもっといろいろな技能と情熱を持った人が必要だ。
我こそはという人は手をあげて欲しいし、その出会いを楽しみにしている。

また会いましょう




2018/09/02

家族記念日

2018年8月31日。

父の79回目の誕生日であり、母が亡くなった日から13年。
いろいろ一区切りだなぁと思う。

夏の記憶はいつもどこかさみしげで、僕はこの時期の空気感が嫌いじゃない。
甲子園、広島・長崎への原爆投下、終戦の日、日航機墜落事故.....


この13年間で、人生が大きく動いた。
女の子との同棲を繰り返し、フーテンだった僕が結婚して、珠のようなこどもを授かった!
会社勤めなんて初めてだったけど、5年間頑張って結果も残した!

いまは子育てに主体的に関わるようになり、オトナとコドモのためのイベントを年間3本もやって、学校の学童クラブの運営にも積極的に関わっている。




 
始まりは13年前。
突然もたらされた母の死。

自分の認識する世界そのものが、音を立てて壊れた。
すべての色は失われ、モノクロームに。


今でも思い出せば息が止まりそうになる、携帯電話への異常な着信数。
父と最初に会話を交わした時のセリフ一言一句。
当時住んでいた六本木の都営大江戸線ホーム。
国立駅からのタクシー。
ずっと、涙が止まらなかった。。


実家の居間で対面する、布団に横たわる母の亡骸。
支えてくれた親族たち。

母が亡くなって24時間後、自分の身に起きた不思議な体験。
とても熱く、安心できるエネルギーが自分の中に入ってきた。

その晩に結婚することを決めた。
巨大な喪失に対抗するにはそれ以外になかった。
ひとり失った悲しみは、絶対に2人増やして癒やすんだと心に誓った。


葬儀の日まで時間があったから、ずっと亡骸に向かって話しかけてた。
高校生くらいからほとんど家に寄り付かずだった自分と母親の空白を埋めるかのように。
穏やかで幸せそうな遺影が救いで、そこには自分の知らない母の晩年の顔があった。


母のことを大事に思ってくれる人たちが全員集合の、母一世一代の晴れやかな旅立ちのセレモニー。
最後のお別れの時、ただただありがとうとしか言えなかった。

火葬の後の骨上げの時、衝動的に母の骨片を食べた。
自分の中でいつまでも生き続けて欲しかったから。

実家に骨と共に戻って、残された肉親3人なんだなぁと思った。
そして1周忌、2周忌と、忌を重ねるごとに母がいない人生が徐々に馴染んでいった。



富ヶ谷ー三軒茶屋と引っ越すうちに、ようやく念願の子供を授かる。
はかなげで、小さくて、どこかすべてを見通してるかのような愛しい命だった。
父になった!

心を入れ替えて真面目にと思ったわけではないが、30半ばで突然勉強に打ち込む。
宅建、FP、簿記....新しい知識に触れるのは、ただただ面白かった。


そして不動産ベンチャーへの就職では、新たな仲間と出会う。
新しいビジネスの世界。
感覚や向き合い方、精神の力、すべてが数字となって目に見える世界。

子育ては補助的だったけど、仕事も必死に頑張った。
1点突破で頑張った!




子供はもう一人授かり、人生の目標も達成!(-1+2=+1!!)
事業は軌道に乗り、M&Aでいつしか大企業のグループに。
新会社の立上げで文化や仕組みづくりに関与していくのは楽しかったし、仕事に打ち込んでいた。


でもその反面、家族は歪を抱えていた。
仕事や付き合いで遅くまで帰らない父。土日にいない父。
一緒にいる時間が少ないためか、懐かなかった下の息子。
もはや臨界点を超えていた。


不動産の仕事を辞めたのは2つ理由がある。
1つは家族のこと。
2つ目は本当に10年後もこの仕事を続けているんだろうか?この仕事は自分でない誰かでもいいのではないか?と思ったこと。



2015年10月から、生活ががらっと変わった。
通勤がなく、家事や子育てを中心とした生活。

うっすらと続けていたイベントの世界に、徐々に引き戻されることになり、やはりこの場に自分の役割があるんだと実感した。



そこから先は、自分にとっての近代史で、まだまだ振り返るには生々しすぎる。
家族のこと、自分の生涯の表現であるイベントのこと。
自分なりに一所懸命やってきたつもりだ。


ひさしぶりに旅行もいった。
インド、韓国。
特にインドでの穏やかで喜びに満たされた日々は、これからの人生に大きな影響を与えると思う。


会社を辞めて家族と濃密に向き合って過ごしたこの3年間は、人生でも大きな3年間だったと思う。
口では言えないほどの苦労もあったし、しみじみとした喜びもあった。
子供の寝顔を眺めているのは、この上ない幸せだった。


そして下の子の小学校入学と共に、子供たちも徐々に親の庇護のもとを離れ、父は父なりに、自分自身の人生を歩み始めるような感覚を覚えている。



母の死から始まった13年間が終わり、新たなステージが始まる。
次の13年は、何をして、どうやって生きているでしょう?

13年後、僕は56歳(58歳で亡くなった母の年齢に近づくということだ)
娘22歳。息子19歳。
いつまでも君たちのことを見守っていたいし、出来る限りサポートするつもりだ。
長生きもするつもり。




人生は貴重だし、一日一日を喜び、慈しみながら生きていければと思う。
怒ったり、嘆いたりする時間はもったいない。


自分の人生をどう創造、デザインしていくのか。
人生の夏から秋にかけて。

今まで培ってきた愛と勇気、知恵と経験、感覚を総動員で、今際の際にいい人生だったなぁと思えるように生きたい。