奄美から戻ってきて約1週間。
羽田に降り立った瞬間、口から悪態をつく、使いづらいmacにはあたる、歩行者や機械や熱気や、一つ一つの存在がストレスに溢れていて、あの南国の空気が嘘のようです。
奄美ではクラクションは挨拶のために存在します。
とてつもなく遅い車も、狂ったように飛ばす車も、どちらもいますが、どのように走ろうとクラクションを鳴らされることはありませんでした。自分が運転していてクラクションに手が伸びることもなかった、というより、クラクションの存在自体忘れていました。
単純にゆるいの一言で片付けるわけにはいきません。
奄美の中でも、僕たちは常にフル回転。超特急で目的地に向かうことも多く、車を降りて走ったりもありました。
それでも、東京では自然に出る”Shit”は、どこか空の彼方へ飛んでいってしまったようです。
奄美の人は、ここは奄美時間だから大変でしょうと僕らに言います。
みな、あくせくはしてないけれど、思考がシンプルでダイレクトで、結果的には早いです。
上司の決裁やら人からの評価やら、その他多くの事柄に超光速で神経回路を巡らせて、脳味噌回転数4000overくらい上げてようやく東京の人が出す結論より、奄美の人が、あ、そうで出す答えの方が早いのです。あ、いいよ。うーん、無理です。
僕はひそかに、暑さのせいかと思っている。
日中とにかく暑くて、思考が継続しないから、感覚で判断する。
奄美に限らず、南国に暮らす人々には、そういう文化というか風合いが神経レベルで組み込まれている気がする。
僕はこっちの方が好き。
人類史上に残る偉大な発明は残さないかもしれないけど(人類史上何かを動かす事柄は、大きく見て北で産み落とされることが多い)それでもいい。その方が美しい。楽しい。
僕はこの感覚を、ある時はNYのクラブで踊る黒人に、ある時は南米のサッカー選手やリオの踊り子に、太古よりの民族の営みに、投影させて、追い求めてきたんだ。思考的より身体的、神経的な生き方を。おいしいもの、きれいなもの、気持ちのいいものに素直に吸い寄せられる、熱くても冷めてても体が透けているような、そんな感覚に。
東京がいけない?
そうかもしれないね。でも僕はここにいる。
そんな僕らに出来ることは?
今日は一つ試してみた。
犬が濡れた体を乾かす時みたいに、頭を思いっ切り振る!
爽快!やなことや憂いが吹っ飛ぶようだ。
交差点の信号待ちでこれをやった僕に、同じく信号待ちのサラリーマンは怪訝な顔をしていた。
今の僕に、そんなことはどうでもよかった。
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