2015/06/24

生産性と幸福についての考察

ここしばらく、自分のテーマは「生産性向上」だった。

生産性は一人あたりの生産量だったり売上だったり。
そこに時間当たりの概念を加えて効率を測れる。

生産性(効率)が向上することによって、より短い時間でより多くの成果を産み出し、そのことによって生活に余裕・ゆとりが生まれる。
余裕をもった人々は、より創造性のある生活、人によっては知的探求や、地域社会や有志との活動、他者へ愛を振り向けること等を行うようになり、社会全体の豊かさ・創造性が高まるというのが思い描いている道筋。

前にも書いたが、日本の生産性は先進国で19年連続最下位。世界的に見ても非常に低いレベル。平均的な話で言えば、効率の落ちる長時間労働・長時間通勤で疲弊して、合間にFBやSNSでコミュニケーションを取り、家に帰ってもご飯を食べて寝るだけ。消費活動でストレス発散。
そんな日々を過ごしていることも多いのでは?

そこを何とかしよう。生産性向上を切り口に、世の中全体の創造性、文化、美しさを向上させようと考えてきた。


ここ最近、思うこと。
生産性向上は、果たして本当に世の中にゆとりをもたらすのか?

生産性が向上し、より短時間で同じ成果が出るようになる。その時の選択肢として、
1.余暇に振り向ける。またはすぐには生産性に寄与しない+αの行動に当てる
2.さらなる生産量アップを目指して、 同じ工程に時間を投下
の2種類があり得ると思う。

例えば、GmailやGoogleマップを産みだしたGoogleの20%ルールなどは前者の部類。自分のイメージもこれだ。

後者の生産性向上は、例えばTOYOTA等の工場等で生産量を上げるのに適している。
資源を投下して、効率よく工程が回ることによって生産量拡大、それに対応する需要も広告やマーケティングで喚起していくフロー。
ここでは生産性に寄与しない+αのことは手を出さない方が良い(その方が生産性評価が良い)。


無限の資源、無限の成長、無限の需要といった、20世紀にあった幻想に基づく成長モデルを感じてしまうのは自分だけだろうか。


人類の歴史を見ると、食糧生産の安定や蒸気機関の発明、インターネット等によって生産の効率は上がり、人々の生活は豊かになったとされる。寿命は伸び、人々が「やらなければならないこと」に取られる時間が減ったと。それが文明の発展をもたらしたと。


どうしたら同じことを「より楽にできるか」、 それが工夫であり、他の霊長類の中でも人類を飛躍的に発展させてきた源。人類は工夫の生き物といえる。
自分はその事に肯定的だし、自分も人類を前進させたいという思いを持っている。

でも、果たして文明の発展により、幸福は増しているのかな?


2015年、自分を取り巻く現実社会に戻ると、人々の幸福をもたらす「生産性向上」に本当になっているのか疑問を持つ。

ガンガン働き、ガンガン稼ぎ、その代わり家族の時間は少なく、家も手入れや工夫が行き届かず荒れている。知的探求もままならず、やりたいこと・やるべきことどれも中途半端。そんな自分は「いま、幸せ」なのか。いずれ生産性が向上した暁には、 幸せに辿り着くのか?


幸せは、「いま、ここ」にあるのではないのかな?


不惑を前にして惑う、男30台、最後の夏。