2017/03/25

自分を許す

日々の生活の中で、いい加減にしろ!とか、それ違くねぇ!とか、
夫婦間・親子間でも苦行を続ける、40代原人()です。

目的は心地良い時間を過ごしたいことなのに、うまくいかない時
そこには怒りや焦りがある。


時間通りに進まない、思うように動いてくれない、期待している精度と違うと、相手に怒りを感じ、早く登校・登園させなきゃ、時間通りに寝かせなきゃ、期待されている精度に応えられてないなど、周囲から期待されている状況とそぐわなくなる度に焦りを感じる。

でも考えてみたら、心地よい時間が目標なのだったら、その状況は状況として、怒りや焦りを感じる必要はないんじゃないか。もっと言えば、その状況のままで幸せであることができるんじゃないかと。
「ま、いいか」「てへ、やっちゃった」「へぇ、そうなんだ」

そろそろ、自分を許してあげようと思った。
裏返すと、相手を許すこと。


そう考えるきっかけは、小学1年生の娘にもらった。
外食で会計を終えて、よくある会計横のおもちゃを欲しがる息子(年中)がしつこいので怒ってしまう父、一層泣き出す弟。

あ〜あって顔で見ていた娘は、何でも買ってあげるってことが優しいことじゃないけど、強く言わなくてもいいんじゃない?と父に諭す。

強く言ったり、何度も言わなくても、こどもだって本当はわかってるんだと。
わかってるけど我慢できなくて爆発しちゃうことってあるんだよって。

息子にとっては買ってもらえないことは残念だし、我慢できない気持ちもしょうがない。
親として買わないのもまた、しょうがない。

でも、そこに感情の激しいぶつかり合いは不要なんだって気づいた。
いつの間にかそんなことまでわかるお姉さんになってて、すげえなって思った。
素直に感動したよって娘に伝えた。


元を辿ると、自分の小学生時代。
のほほんとしていて(自分の世界?)、忘れ物王・遅刻王の2冠王だった僕は、学校のプリントを机に溜めるだけ溜め込んで、いまは亡き母親によく激怒されていた。

母親は今思えば育児ノイローゼ気味で、幼い息子を何時間でも、何でできないんだ?と強い口調で詰問していた。
その間の僕はといったら、下を向いて床の模様や座っている椅子の生地の感触に意識を向けながら、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っていて、その様子は更なる激昂を呼ぶこともしばしば。

たいがい家の外に出されてあんたはうちの子じゃないよと告げられ、泣いて許しを乞うという今から考えれば芝居がかった事を繰り返していた。
 
 
その反動もあり、中学生になって急に色気づいたのもあり、おれはおれの道を歩む!と一気に不良路線へと転向。親とも散々ぶつかり、家にしばらく帰らないこともしばしば。

ここでは絶対書けないことをいっぱいやらかした後、クラブとクラブ・ミュージックと出会って改心・バージョンアップして、いまここに至るわけだが、幼少期のその体験はいまだに引きずっている部分はあるんだと思う。


恐れと不安が、怒りと焦りを産む。


いまはもう笑って振り返ることができるけどさ。

本当の意味で、許すときがきたようだ。
娘の言葉がきっかけで。世代を超えた連鎖を断ち切るときが来た。


できない自分を許す。できない相手を許す。
ノイローゼだった母親を許す。できなかった自分を許す。

何やらかそうが、そのこと自体が深刻で不可逆な傷跡を残すわけではない。
怒りと焦りこそが、関係性に繰り返し繰り返し傷を刻み、望まぬ結果を呼び込む。


もう許すよ。
それによって失われるものは、ないはずだ。
自分の何かが変わってしまうわけではない。

もう、ゆるしまーす!!






2017/03/17

啓蟄!本厄明けた41歳現在の心境

2月3日に節分を越し本厄が明けてから、はや1ヶ月。

 
自分の中ではまったく変わったし、いろいろと流れが蠢き出したのを感じています。
ここ数年の曇りから抜けて心も晴れやかな感じ。まさに啓蟄


思えば、何度場所を変えて時を変えて御神籤を引いても「いまは冬ですがもうすぐ雪解けを迎えます、有難みを感じて誠の心で信心せよ」のオンパレード。笑
その時が来ているのを実感します。
 
41にもなると世間的に立派な中年なのですが、東アジア人のネオテニー(幼形熟成)のせいにしつつ、むしろピーターパンシンドロームだろと一人突込み。
中坊のような新しいことやりたい欲がむくむくと湧いてきています。
 
 
 具体的に決まってることはそんなに多くなく、
 

  • 8月最終週末に開催するNU VILLAGEキャンプは、新たな枠組みで今後の展望に足をかける大事な一年になりそう。
    方向性としては、3年続けたプライベートキャンプからより理念が浸透しやすい形、パブリックを意識した運営をしていきたい。
     
  • ビオキッズは、5/28に世田谷公園で開催と、おそらく秋に羽根木でも開催することになるでしょう。世間的にも子育て・外遊びへの追い風が吹いているので、しっかり根付かせていきたい。
     
  • ONENESS MEETINGは、今年の旧暦正月開催が好評だったので2018年のその時期に再び。今年からの裏テーマである楽なスタンスで、イニシャラー、神のみぞ知る導きによって何が現れるか楽しみにしていたいと思います。
     
  • あとはお誘いを受けている話で面白くなりそうなのが夏に一つ。
     
  • 自分の中で構想段階のものが一つ。これは何人かの感覚共有できそうな相手とディスカッションを始めようという段階。
     
  • こども関連では、下の息子が来年度いよいよ卒園なのでその進路をどうするか今年の前半で決めることになる。上の娘は小2でこちらも何らか運営に関わることになるかも。
     
  • 不動産事業では、今後の30年、50年先を見据えたリサーチを始めたいと思っている。

いままで個別に走ってきたり傍から見たら意味不明の展開を、総合的に、あいつのやろうとしてることってこういうことだよねと、分かりやすい形へ昇華できる段階が徐々に近づいている予感がするし、どう表現するか自分でも意識する必要があるんだと思う。 

別に誰に頼まれてるわけでもなく、安穏と何もせずに日々を過ごすことだってできるんだろうけど、動きたくなるのは何なんだろう?
人間は関わりの中でしか生きられないのか、自分自身の実現(表現)欲求か。


 
 日々のお勤めがある訳ではないので、強制的に追われている感じはないが、なんだかんだ、忙しい日々が待っていそうだ。 
 
「やりたいこと」が増えている中で、一つひとつのプロジェクトではむしろ「やらないこと」「いらないもの」を峻別して進めたいと思っています。

今年も一年、よろしくどうぞ。


2017/03/06

学童?鍵っ子?どうする??

上の娘(小1)は、昨年4月から学校内の学童で時間を過ごしてから帰ってくる。
通常授業が終わった後は校庭を使った残り遊びができるので、学童の滞在時間は実質30分〜1時間。短すぎてつまらないらしい。

かと言って学童を出る時間を遅くすれば、帰宅も遅くなる。

ただでさえ、帰宅後は宿題やって→夕飯食べて→お風呂入って→歯磨きして→寝ると、追い立てられるようにルーティンが待っている。なるべく急かしたくないし、これ以上寝るのを遅くもしたくない。


 
自分の幼年期を振り返ると、周りでは学童なんて言葉を聞いたことがなかった(一部ではあったんだと思うが一般的ではなかったと思う)

専業主婦だが外出の多い母と新聞記者の父を持つ自分は、家から5分の私立小学校に通う、いわば鍵っ子だった。
郵便ポストに入れてあるはずの鍵がなくて、何度トイレや台所の小窓に頭から身体をねじり込ませて家に忍び込んだか。

たいがいは、入れない状況もいつものことと。外から取り出せるグローブと軟式球を手に、8回裏ツーアウト満塁バッター○○などと独り空想の世界に浸っては、向かいの壁に向かって壁当てを繰り返していた(ひとり実況解説でつぶやいていたかもしれない)
小学校の時の奈良少年ってそんな感じ。

いま考えると、近所の人はみな僕のことを知っていて見守ってくれていたに違いない。
独りで遊んでいても寂しい感じはなく、学校と、母が帰ってきたら口うるさく言われるハザマの楽しい時間だった。
子どもにとって、余白の時間がいかに大事か。
何やってもいい。一人でお菓子食べても、漫画読んでも、絵描いても、ごろごろしててもいい。自分の子どもにもできればそんな時間を与えたいなと思う。
 
 
いま行っている学童は、前校長や父母が中心となって立ち上げた学童で、スタッフが本当に素晴らしい。おやつも毎回手作りで、公立学童でよく聞くスナック与えて〜なんてのも無縁の世界。まだあまりないけど学童同士の縦の関係もできていけばいいなと思う。
安全面も大きい。毎日ではないと思うが、小学校低学年の女子が一人でお留守番。とはいえこれも1時間少々か。

いろいろと悩ましい。
両親サラリーマンで7時まで帰れないとかならノーチョイスだろうけど。

というわけで結論はまだない。悩み中です。