2019/10/31

6回目のNU VILLAGEが終わり、僕は44歳の誕生日を迎えた

なかなかに心が揺れ動いた一ヶ月だった。
44歳のテーマは「揺れる」かもしれない。

原因はいくつか思い当たるけど、精神的にもかなり揺れた。揺らいだ。 

いまはようやくそれをポジティブに語れる自分がいる。
むしろ揺れてこうと。


今までの思考パターンや行動パターン、考え方、自分像にとらわれることなく、相手や周りがどう思うか、どう評価されるかにも左右されず、自分が本当に何をやりたいか、どう生きたいのか。

評価や報酬など外発的動機は続かないし、ムラがある。
自分の中から湧き出る内発的動機は何なのか?そこに向き合っていきたい。


自分の人生を振り返ってみれば、いろいろ中途半端に生きてきた。 

勉強も中途半端、部活も中途半端、サッカーやスキーなどスポーツも中途半端、不良も中途半端、遊び人も中途半端、オーガナイザーも中途半端、不動産の仕事も中途半端、子育ての世界も中途半端、子供の学校との関わりも中途半端。とにかくいろいろ、中途半端にやってきた。


決して器用な性質ではなくむしろ不器用なんだけど、どれもある程度うまくできる。
ものによっては存在感を知らしめ、評価されるとこまではいく。

こう書くとなんでもさらっとできるクラスのスーパースターみたいなのを想像する人もいると思うが、決してそうではない。
自分がこれと決めた分野では、結果が出せる。逆に言えばこれは無理だなと思う分野には手を出そうとしない、そんな見極めがあったんだと思う。



でもそこから先にモチベーションが続かないんだ。成長し続けることができないんだ。


なんでだろう?と最近物思いにふける中で気づいた。

僕を動かしてきたものは、主に外発的動機だったんだ。 
いい女にもてたい。周りにかっこいい、すげえって思われたい。こどもから尊敬されたい。 


内発的動機と外発的動機の違いは、そのことにハマっていること自体がエネルギーを生むのか、外部からの評価や報酬(逆の意味で罰や批難も)などがエネルギーを生むのかだと思う。


例えば音楽家や絵描き。創作に向き合うこと自体が自然にエネルギーを生めばいいが、外部からの評価や報酬が動機となると、思う対価や評価が得られないときにくじけたり、報酬を得すぎたら意欲がなくなるかもしれない。 

オーガナイザーに置き換えれば、思う評判がとれなかったら落ち込み、思う報酬が得られなかったら憤り、といった具合だ。 

言い換えると、自分の幸せを他者に依存しているということ。


僕は真の意味で、自立したい。
44歳から88歳の44年間は、自分自身で自分を幸せにできる人生を送りたい。

そして自立した人間同士の、友愛と連帯を結んでいきたい。



自分の内発的動機はなんなのか? いろいろ思うことはあるが、ひとまずそれも思い込んでる節もあるので、44年間生きる中こびりついてきた思考を捨ててみよう。

「自分が思う自分」から離れて、存分に揺れてみようと思う。


そんなこんなで、44歳の秋を迎えました。

祝福のメッセージをくれた皆さん、どうもありがとう!!
ひょんなことで支えてくれたり、ヒントをくれたりする皆さんにも感謝してます!
そういう存在は、距離や時間は関係なかったりもする。

そしてこの投稿を、近況報告に代えさせてもらおうと思う。


人生はまだまだ長い。とはいえ、それは瞬間瞬間の積み重ねだ。
時間も労力もお金もひらめきも、惜しみなく、そこには費やそうと思う。