2017/05/26

「外遊び」がテーマの野外フェス「ビオキッズ2017 in 世田谷公園」

「みんなもっとお外で遊ぼう!」をテーマにした無料の野外フェス「ビオキッズ2017 in 世田谷公園」が5/28日曜日に開催されます。

“自分の責任で自由に遊ぶ”を掲げ、全国に300箇所近くあるプレーパーク(いわば子供の自由区です)
焚き火やら水遊びやら、屋根登ったり、穴掘ったり、一日泥んこで遊べますよ〜♪

おとの森では、ヒューマンビートボクサーの櫻井響くん、多目的打楽器奏者の原口香英さんのライブなど、こども×おとなイベントだからといって手抜きなし!お楽しみに〜〜♪

 
そんなビオキッズの始まりから現在、これからへ至るサイドストーリーを書いてみたので、よかったらご覧ください。
 

[ビオキッズの始まり]


ビオキッズの始まりは4年前。

ひょんな縁で、下の息子を世田谷で野外保育を実践している大きな木保育園に入れ、入園直後に園児父の植田泰(やっし)に呼び出され、子育て・外遊びをテーマのイベントをやりたいと相談を受ける。


そこにいたメンバーは、その後NU VILLAGEを一緒にやることになる編集者の渕上周平に、下北沢でかまいキッチンという自然食を中心とした飲食店をやってる加藤久美子、そしてやっしの4人。


イベントなら自分の今までの経験を活かせるフィールドだし、なんだか面白そうなニオイに惹かれプロジェクトが動き出す。
その時点では羽根木のプレパに行ったこともなかった。
1年目は少人数で手探りのイベント制作。

DJに自身も子育て中のShhhhhを誘い、銀杏の葉が舞い落ちる秋晴れの中での開催。
変な動きで踊るおとな(自分)に釣られ、子供たちがDJの音で踊り出す光景を見て、この先の未来、自分自身における可能性を感じた。


普段音楽が流れているのが当たり前の現場に居続け、いつしか新鮮に思えなくなってしまっていた自分。

参加してくれたお父さんから、「音楽があるとすごく気持ちいね!普段と違う」と言われ、音楽のチカラに気づく。
コドモたちが遊んでいて、楽しい仲間がいて、それだけでも十分楽しいけど、音楽があると時間の流れ方が全く違う。これが音楽のチカラだ!!
 
 

[2年目]


2年目からは、地域で子育てサークルや自主保育をやってる超強力なママたちも加わり、プレパに関わるプレーリーダーや世話人たちともタッグを組んで開催することができた。

そして、ビオキッズから着想を得て、山梨県白州での親子キャンプNU VILLAGEを立ち上げる。こんな楽しい空間を、夕暮れとか夜とか明け方とか、時間の経過の中で過ごせたら最高だなと思って。

20年以上続けてきたパーティ制作のノウハウを一旦脇に置いて、まったく新しいイベントのつくり方、関係性をどうつくるか、問答を続ける日々。

コドモの喜びとオトナの喜びが循環する世界。当たり前だけどそれがはっきり肯定されている空間をつくりたかった。

そのNUVを一緒につくってるメンバーも1/3くらいは保育園繋がりの仲間だったりして、子供を通じて知り合ったわけだけど、自分自身にとっても一生の仲間だと思ってる。

そして子育てを通じて、誰とでもすぐに繋がれる、仲間がどんどん増える。


[3年目〜現在]


ビオキッズも順調に軌道に乗り地域のイベントとして定着してきた頃、奄美皆既日食音楽祭や渚音楽祭など、いわゆるハードコアなパーティ現場で医療班として協力してくれていた医師、瀬田宏哉(Dr. ヒロ)から相談を受ける。
「世田谷公園でもビオキッズみたいなイベントが開催できないか」と。

どうせ同じ志向のイベント、ムーブメントだったら、ビオキッズをそのまま世田谷プレパでもやっちゃえ!と、新たに世田プレ周りの子育てサークルやプレーリーダーのかねが仲間に加わり、勢いで世田プレ初開催!

羽根木と世田谷公園では客層が違うというか、より一般の人(おしゃれな犬連れてたりヒール履いてたり)が多い中での難しさと可能性を感じながら、おしゃれママたち御用達マガジンVERYに大きく取り上げてもらい、いろいろな所へ反響が拡がる。

おしゃれだったり、遊びだったり、子育てをしながらも親も楽しくかっこいいライフスタイルを送りたいという思いの中に、子供が泥んこになって遊ぶことや、いきいきと生きることが組み込まれていることに時代の流れを感じる。

 

 
[これから]


もはや、子育ては親が我慢することでも、こどもが大人の価値観を押し付けられるものでもない。

一緒によりよいライフスタイル(毎日の延長で意志を反映したもの)をつくり上げる共同作業で、どうしたら楽しくなるか、もっと仲良くなれるか、自分自身を肯定できるか、お互いが追求する時間といえる。


自分自身、コドモ×オトナのイベントを中心のオーガナイザーになりつつある中で、夜遊びもそこそこしていて、たまにはオトナ向けのDopeなパーティもやる。

学校の中でも親子で集まれるイベントを立ち上げたり、コドモといかに楽しく過ごせるか、家の中で工夫したり、セミナーに通って勉強したり、本を読んだり、日々楽しく過ごしている。

自分がコドモたちに伝えられることは、生き様だったり日々の生活の中での感覚、表現としてのパーティなので、これはこのまま続けていきます。

音楽、パーティ、子育て、日々を彩る趣味の数々。
齢40を過ぎ、自分の中でそれらが統合されてきているのを感じ、どれも繋がっている感じになってきた。自分の周りでもそんな人が増えているかな。


人が集まること、その場をつくること。
その場が気持ちいいこと。

そんなことを、
これからも実践していこうと思います。


ビオキッズ詳細→
http://biokids.net/
https://www.facebook.com/biokids/

プレーパークについて→
http://www.city.setagaya.lg.jp/shisetsu/1209/1295/d00014645.html


2017/04/05

父の役割 母の役割 〜父性で関わる子育て

2泊3日のスキー&温泉旅行へ、父子3人で草津へ行ってきました。

前日になって急遽行くことに決めた今回の旅。
夜、車で子供たちを寝たままトランスポートして帰宅後に寝ぼけまなこの息子がつぶやいた一言。

「最高に楽しい冒険だったよ、、」

冒険!!なんて魅惑の響きなんだろう。
これぞ父冥利に尽きる一言!!
 

最近、子育てにおける父と母の役割についてよく考える。

一般的な傾向として多いと思うし、我が家もご多分に漏れずという感じなのだが、母性で包み込む母親と、主に刺激や遊びで関わる父親。

産まれる前から細心の注意を払って共に生きているのが影響しているのか、子供の快不快、心情をおもんばり、先回りして子供の先に転がる石をどけてあげたり、転ぶ前に石があるよと注意を促したり、子供の安心感とコンフォートゾーンを作り上げることに長けていることが多い母親たち。

そういった母親からは、父親のどこかガサツで自分の興味に子供を振り回すような様は、理解されにくく、実際問題としてダメ出しをされてる父親も多いと思う。
 
 
じゃあ、父親は子育てのプロ?を自認する母親の言うとおりに、はいはいと動いていればいいのか?それで母親のストレスが軽減されたら円満なのか?

母親には母親の関わり方があるし、父親には父親の関わり方がある。
両方あって成立しているんだと思うし、子供にとっても良いのだと思う。
そしてそれぞれが特性を尊重し合うことが大事だと思う。


では、父親の関わりって何だろう?

精神・身体両面で振り切った遊びを一緒にできることが長所なんじゃないかと思う。
子供のコンフォートゾーンを逸脱する、拡張する動き。

時には、やりすぎて泣いてしまったり、極限まで遊びすぎて体調を崩したり、居心地の悪い状況に放り込まれたり、その場面だけ切り取ればそれダメでしょって言われてしまうようなことが、その子供の領域を拡げたりするんじゃないかな?

その拡張された子供の力でも困難を乗り越えられないと、単につらいだけの経験になってしまうので、その見極めが難しく僕もよく失敗しているんだけど...


今回のスキー旅行でいうと、何事も慎重で失敗したくない娘は緩斜面をのんびり滑るのが大好き。

嫌がる娘をなだめすかして中斜面に連れ出し、最初はびびりまくりだったけど途中からは「転ぶのが楽しい〜〜!もっと滑りたい!」

母親ならこの斜面を滑らせることはないだろうし、吹雪の中べしょべしょの手袋で夢中に雪だるまを作っている子供たちには早々にストップをかけているだろう。
 

とはいえ、一緒に過ごす時間が増えるほど子供が失敗するポイントが見えるので、つい口出したり手を出したりしがち...
はっきり言って余計なんだと、最近は子育てに関わる時間の多い自分にも言い聞かせています。

僕の周りには、男性女性の枠を超えていい感じで子供と関わっている親が多いので、勉強になっています。
共通しているのは、子育てを通じて子供から学び、自らもどんどん変化・成長していること。
子供から学ばず親として確固たるスタンスで存在していると思っている人に限って、子育てをつらがっている人が多い気がする。

子育てを、母親のものだけにさせておくなんてもったいない。
いろんなことを気付かせてくれる子供たちに感謝!




2017/03/25

自分を許す

日々の生活の中で、いい加減にしろ!とか、それ違くねぇ!とか、
夫婦間・親子間でも苦行を続ける、40代原人()です。

目的は心地良い時間を過ごしたいことなのに、うまくいかない時
そこには怒りや焦りがある。


時間通りに進まない、思うように動いてくれない、期待している精度と違うと、相手に怒りを感じ、早く登校・登園させなきゃ、時間通りに寝かせなきゃ、期待されている精度に応えられてないなど、周囲から期待されている状況とそぐわなくなる度に焦りを感じる。

でも考えてみたら、心地よい時間が目標なのだったら、その状況は状況として、怒りや焦りを感じる必要はないんじゃないか。もっと言えば、その状況のままで幸せであることができるんじゃないかと。
「ま、いいか」「てへ、やっちゃった」「へぇ、そうなんだ」

そろそろ、自分を許してあげようと思った。
裏返すと、相手を許すこと。


そう考えるきっかけは、小学1年生の娘にもらった。
外食で会計を終えて、よくある会計横のおもちゃを欲しがる息子(年中)がしつこいので怒ってしまう父、一層泣き出す弟。

あ〜あって顔で見ていた娘は、何でも買ってあげるってことが優しいことじゃないけど、強く言わなくてもいいんじゃない?と父に諭す。

強く言ったり、何度も言わなくても、こどもだって本当はわかってるんだと。
わかってるけど我慢できなくて爆発しちゃうことってあるんだよって。

息子にとっては買ってもらえないことは残念だし、我慢できない気持ちもしょうがない。
親として買わないのもまた、しょうがない。

でも、そこに感情の激しいぶつかり合いは不要なんだって気づいた。
いつの間にかそんなことまでわかるお姉さんになってて、すげえなって思った。
素直に感動したよって娘に伝えた。


元を辿ると、自分の小学生時代。
のほほんとしていて(自分の世界?)、忘れ物王・遅刻王の2冠王だった僕は、学校のプリントを机に溜めるだけ溜め込んで、いまは亡き母親によく激怒されていた。

母親は今思えば育児ノイローゼ気味で、幼い息子を何時間でも、何でできないんだ?と強い口調で詰問していた。
その間の僕はといったら、下を向いて床の模様や座っている椅子の生地の感触に意識を向けながら、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っていて、その様子は更なる激昂を呼ぶこともしばしば。

たいがい家の外に出されてあんたはうちの子じゃないよと告げられ、泣いて許しを乞うという今から考えれば芝居がかった事を繰り返していた。
 
 
その反動もあり、中学生になって急に色気づいたのもあり、おれはおれの道を歩む!と一気に不良路線へと転向。親とも散々ぶつかり、家にしばらく帰らないこともしばしば。

ここでは絶対書けないことをいっぱいやらかした後、クラブとクラブ・ミュージックと出会って改心・バージョンアップして、いまここに至るわけだが、幼少期のその体験はいまだに引きずっている部分はあるんだと思う。


恐れと不安が、怒りと焦りを産む。


いまはもう笑って振り返ることができるけどさ。

本当の意味で、許すときがきたようだ。
娘の言葉がきっかけで。世代を超えた連鎖を断ち切るときが来た。


できない自分を許す。できない相手を許す。
ノイローゼだった母親を許す。できなかった自分を許す。

何やらかそうが、そのこと自体が深刻で不可逆な傷跡を残すわけではない。
怒りと焦りこそが、関係性に繰り返し繰り返し傷を刻み、望まぬ結果を呼び込む。


もう許すよ。
それによって失われるものは、ないはずだ。
自分の何かが変わってしまうわけではない。

もう、ゆるしまーす!!






2017/03/17

啓蟄!本厄明けた41歳現在の心境

2月3日に節分を越し本厄が明けてから、はや1ヶ月。

 
自分の中ではまったく変わったし、いろいろと流れが蠢き出したのを感じています。
ここ数年の曇りから抜けて心も晴れやかな感じ。まさに啓蟄


思えば、何度場所を変えて時を変えて御神籤を引いても「いまは冬ですがもうすぐ雪解けを迎えます、有難みを感じて誠の心で信心せよ」のオンパレード。笑
その時が来ているのを実感します。
 
41にもなると世間的に立派な中年なのですが、東アジア人のネオテニー(幼形熟成)のせいにしつつ、むしろピーターパンシンドロームだろと一人突込み。
中坊のような新しいことやりたい欲がむくむくと湧いてきています。
 
 
 具体的に決まってることはそんなに多くなく、
 

  • 8月最終週末に開催するNU VILLAGEキャンプは、新たな枠組みで今後の展望に足をかける大事な一年になりそう。
    方向性としては、3年続けたプライベートキャンプからより理念が浸透しやすい形、パブリックを意識した運営をしていきたい。
     
  • ビオキッズは、5/28に世田谷公園で開催と、おそらく秋に羽根木でも開催することになるでしょう。世間的にも子育て・外遊びへの追い風が吹いているので、しっかり根付かせていきたい。
     
  • ONENESS MEETINGは、今年の旧暦正月開催が好評だったので2018年のその時期に再び。今年からの裏テーマである楽なスタンスで、イニシャラー、神のみぞ知る導きによって何が現れるか楽しみにしていたいと思います。
     
  • あとはお誘いを受けている話で面白くなりそうなのが夏に一つ。
     
  • 自分の中で構想段階のものが一つ。これは何人かの感覚共有できそうな相手とディスカッションを始めようという段階。
     
  • こども関連では、下の息子が来年度いよいよ卒園なのでその進路をどうするか今年の前半で決めることになる。上の娘は小2でこちらも何らか運営に関わることになるかも。
     
  • 不動産事業では、今後の30年、50年先を見据えたリサーチを始めたいと思っている。

いままで個別に走ってきたり傍から見たら意味不明の展開を、総合的に、あいつのやろうとしてることってこういうことだよねと、分かりやすい形へ昇華できる段階が徐々に近づいている予感がするし、どう表現するか自分でも意識する必要があるんだと思う。 

別に誰に頼まれてるわけでもなく、安穏と何もせずに日々を過ごすことだってできるんだろうけど、動きたくなるのは何なんだろう?
人間は関わりの中でしか生きられないのか、自分自身の実現(表現)欲求か。


 
 日々のお勤めがある訳ではないので、強制的に追われている感じはないが、なんだかんだ、忙しい日々が待っていそうだ。 
 
「やりたいこと」が増えている中で、一つひとつのプロジェクトではむしろ「やらないこと」「いらないもの」を峻別して進めたいと思っています。

今年も一年、よろしくどうぞ。


2017/03/06

学童?鍵っ子?どうする??

上の娘(小1)は、昨年4月から学校内の学童で時間を過ごしてから帰ってくる。
通常授業が終わった後は校庭を使った残り遊びができるので、学童の滞在時間は実質30分〜1時間。短すぎてつまらないらしい。

かと言って学童を出る時間を遅くすれば、帰宅も遅くなる。

ただでさえ、帰宅後は宿題やって→夕飯食べて→お風呂入って→歯磨きして→寝ると、追い立てられるようにルーティンが待っている。なるべく急かしたくないし、これ以上寝るのを遅くもしたくない。


 
自分の幼年期を振り返ると、周りでは学童なんて言葉を聞いたことがなかった(一部ではあったんだと思うが一般的ではなかったと思う)

専業主婦だが外出の多い母と新聞記者の父を持つ自分は、家から5分の私立小学校に通う、いわば鍵っ子だった。
郵便ポストに入れてあるはずの鍵がなくて、何度トイレや台所の小窓に頭から身体をねじり込ませて家に忍び込んだか。

たいがいは、入れない状況もいつものことと。外から取り出せるグローブと軟式球を手に、8回裏ツーアウト満塁バッター○○などと独り空想の世界に浸っては、向かいの壁に向かって壁当てを繰り返していた(ひとり実況解説でつぶやいていたかもしれない)
小学校の時の奈良少年ってそんな感じ。

いま考えると、近所の人はみな僕のことを知っていて見守ってくれていたに違いない。
独りで遊んでいても寂しい感じはなく、学校と、母が帰ってきたら口うるさく言われるハザマの楽しい時間だった。
子どもにとって、余白の時間がいかに大事か。
何やってもいい。一人でお菓子食べても、漫画読んでも、絵描いても、ごろごろしててもいい。自分の子どもにもできればそんな時間を与えたいなと思う。
 
 
いま行っている学童は、前校長や父母が中心となって立ち上げた学童で、スタッフが本当に素晴らしい。おやつも毎回手作りで、公立学童でよく聞くスナック与えて〜なんてのも無縁の世界。まだあまりないけど学童同士の縦の関係もできていけばいいなと思う。
安全面も大きい。毎日ではないと思うが、小学校低学年の女子が一人でお留守番。とはいえこれも1時間少々か。

いろいろと悩ましい。
両親サラリーマンで7時まで帰れないとかならノーチョイスだろうけど。

というわけで結論はまだない。悩み中です。